tomoko hashimoto


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昼の眠り、夜の瞬き カタログ 2019



 
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手向けの花、祈りの水
樋口昌樹(美術評論家)



 3.11から7年半が過ぎた。この間、しばしば震災後美術や震災後文学について語られることがあったが、積極的に震災に向き合うつもりはなくとも、本人も意識しないまま知らず知らずのうちに震災の影響を受けている、という人もいるはずだ。これはアーティストに限らず、鑑賞する側にも起こりうる。自分を引き合いに出すのは気が引けるが、ぼくは震災後、インスタレーションやビデオアートよりも工芸や彫刻に強く惹かれるようになった。自分の住む世界がいかに脆弱かを思い知らされ、確かな実在感のあるものを求める気持ちが高まったからなのだろうと、理由を自己分析している。
 さて、橋本トモコの新作である。
 橋本は一貫して、単色 −のように見えるが実は何層もの色層を持つ− フラットな地に、省略化された花の図像が浮かぶ作品を制作している。とても日本的な印象を与えるが、本人が意図するところはそこではない。橋本は作品から極力、物語や情緒を排除したいと述べている。物質としての絵画を目指しているのだ、と。叩き筆で叩いてフラットな色面を生み出すという西洋の古典技法を用いるのも、絵の具のてかりや筆触が、感情に働きかけるのを避けるためだ。また花をモチーフにするのも、そこに特別な意味を持たせたくないからだという。いわれてみれば橋本の描く花は、決して名花名木ではない。今回も仏の座、詰草といった、野に咲くありふれた花が選ばれている。
 こうしたストイックともいえる制作スタイルを貫いてきた橋本が、近年少し変わってきた。背景や花弁にグラデーションを用いるようになったのだ。そのため画面全体に豊かな情感が漂うようになった。橋本も今では情緒を認めてもよい、と語っている。この心境の変化をすぐに震災に結びつけるのは、強引すぎると自分でも思う。しかしぼくには橋本が近年描く花々が、死者に手向けられた献花のように思えてならないのだ。川面の作品を2012年より描き始めたことは、さらに意味深い。『方丈記』を引き合いに出すまでもなく、人は川に人生を重ね合わせる。あるいは精霊流しのような、鎮魂の行事もある。作品から物語や情緒を消し去ろうとしてきた橋本が、人の生死と密接に結びつく川をモチーフにするようになったことも、震災による影響なのではないだろうか。このように、工芸品のように堅牢な物質感はそのままに、豊かな情感を漂わせるようになった近年の橋本の作品を、ぼくは優れた震災後美術のひとつに挙げたいと思う。震災後の不確かな時代を生きるぼくたちの、心の拠り所となりうる作品なのだから。




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