tomoko hashimoto


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昼の眠り、夜の瞬き カタログ 2019



 
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筌を忘る
原田直子(ギャラリーカメリア)



 橋本の作品は、茶室における床の花のように、“作品(≒花)”という要素だけでなく、展示空間(≒茶室)全体を味わうことができます。
 本展での新作“隅田川” は説明するまでもなく都心に流れる河川で、現代の私達の生活をも映す少し濁りのある水面は、光を飲み込む夜にその深さを感じさせます。“隅田川” の展示空間に佇んでいると、川の流れがゆっくりと画面を越え、対面に舞う“桜”と空間全体が呼応してきて、京都紫野・大徳寺の塔頭のひとつである孤篷庵の“忘筌の間”が思い出されました。孤篷庵は、大名で茶人の小堀遠州が建立した庵で、庭から反射する西陽が天井にゆらゆらと映り込み、舟に揺られながら景色を眺めているかのような茶室が“忘筌の間”です。

 植物も川も海も空も人よりずっと激しく変わっていくのに、自我を見せたりはしない。
 全てはつながっていてありのままだ。
 (2013年 『 FLAT/BAROQUE: 絵画があらわすもの 』リーフレット、本人のテキストより)

 あるがままをリスペクトすべく自我を抑え、フラットな気持ちで制作に向かう橋本の作品は、一見ポップに、しかし忠実に抽出した花や果物の形、浮遊感、単色に近い背景が日本画的な印象を与えます。丁寧につくりだした白亜地の上に、薄く油絵具の色層を重ね、面がフラットな筆で叩くことにより筆跡を消したその絵肌は、気の遠くなる工程を見せつけることなく、しなやかに空間に寄り添います。その様からは弧篷庵の茶室空間のみならず、“忘筌”という言葉もしっくりきました。
 禅語を説明するのは憚りますが、“忘筌”とは“魚を捕ってしまえば、その為の道具である筌の存在は忘れる”ということから、目的を達すれば手段には執着しない、手段に執着せずに目的を達する、という意味をあらわすようです。どこを目指し、どこを向いているのか、目的を忘れて小さなことにとらわれがちな私達は、圧倒的な存在を前にしたとき、自我を忘れ爾今を意識します。そして物事の本質や悠久のときに想いを馳せるような気がするのです。





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