tomoko hashimoto


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クインテットV ―五つ星の作家たち カタログ
発行:東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館 2017



 
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「クインテットV」出品作家たちの自然観 
五十嵐卓(東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館)



花をのみ待つらん人に 山里の
雪間の草の春をみせばや (藤原家隆)

「花をのみ待つ人々のように、絢爛豪華な世界を追い求める世俗の中にあって、それを謳歌する人々に対して、質素な荒壁の田舎家がある山里で、雪に隠れている草木の春のように、まだまだ世の中には認知されていないが、私が見立てた美をご紹介しましょう」注1.

 千利休の「茶の精神」を表す和歌として知られているが、本展の出品作家たちの作品を読み解く一助になりえる歌であろう。千利休作の妙喜庵の二畳の待庵では、貴賎の分け隔てない招待客がにじり口から入り、草庵茶室の中で思索を膨らませたのである。一方、絵画という四辺で囲まれた平面作品の中で、作家たちは壮大な世界を展開しているからである。薄暗い狭小空間のなかで、連子窓の障子越に差し込む淡い光で利休が見立てた軸や花入れを見つめると、この和歌のように、座する客人は時空間を超越した別世界へ思いを馳せ、遥か宇宙までも飛行できる錯覚に陥るのではないかと考える。

 今回「自然」をテーマに出品された5人の作家、川城夏未、木村佳代子、橋本トモコ、堀由樹子、横溝美由紀は、手法は異なるが、いずれも写実的に眼前の「自然」を描写する作家たちではない。川城は一面朱色の作品で知られているが、画面を時間をかけて見つめていくとその中からイメージが浮かび上がってくるような描き方である。木村は花などを一見写実風に描きながらも、そこには時間の経緯や生命の存在、そして宇宙への繋がりをも思考させる。橋本トモコは「ありふれた」花や果実を大胆に捉えながらも、そのテクスチャーと空間を通じて「自然」の美学を感じさせる。堀は植物や風景を自分の情感に合わせた色彩と形で再現することで不可視な「心」の世界を表現している。横溝は絵具を付けた糸を画面に弾くことで形成された図やカモフラージュ模様の作風などで日本の伝統技能を意識した新たな画面を構築している。

 千利休の例を持ち出すまでもなく、今回の出品作家たちは、絵画という限定された平面世界の中で無限の可能性を追求している共通項がある。また、見者としても、作品の画面から自分の記憶を呼び起こして思索を深めることで、絵画の様々な解釈を行うことができる。すなわち、5人の作品は、見者に無限大の「視覚の悦び」を感じさせる絵画であると言える。


(中略)

橋本トモコ

 橋本トモコの作品は、りんご、柿、蜜柑、苺、椿、朝顔、白粉花、川面(江戸川)など「ありふれた」モチーフが多い。至ってシンプルな形状で陰影も少ない。よって、橋本の作品は「何が描かれているか」よりも、「どのように描かれているか」に関心が向く。画面に時間をかけて丁寧に油絵具を重ねていき、叩き筆で叩いて筆触が残らないようにするので、遠目にはテキスタイルやステンシル(合羽版)、又は切り絵のようにもみえる。
 橋本の作品のもう一つの特徴は、作品を展示する空間全体を「作品化」するスケール感である。例えば東京都現代美術館での展示では、椿葉や松葉が天井から落下するように壁に葉の形状を貼り付け、見る者は橋本の意図する空間に包まれるような感覚を体験する。これは橋本の「鑑賞者と景色を共有したい」という願いの実現である。橋本は以前、「茶室内の絵画(掛け軸)」「日本における襖絵や天井画」「欧米の教会における祭壇画」を引き合いに出し、「空間における絵画」「役割としての絵画」「風景としての絵画」と語ったことがある。橋本は「公共の場における風景」の役割を作品展示を通じて思考し、「新鮮な空間」を創造することを試みているに違いない。
 橋本の作品は平面的に見えても深みを伴っている。木製パネルの上に綿布を張り、白亜地で下地を造り、時間をかけて透明度の高い油絵具を何層にも重ねることで「深みある艶」と「堅牢な絵肌」を生み出している。15世紀、油彩画を完成させたといわれているヤン・ファン・エイクの技法を踏襲している。18世紀新古典主義以降の絵画には画家の筆触(インパスト)が残り、画家の息吹を伝えている。それは画家の情感や存在感の表明でもある。橋本の作品はその息吹を敢えて消して、漆器などの工芸的なフィニッシュのようなアノニマス性を強調しているようだ。
 近年制作されている《江戸川》シリーズは、「ありふれた」川面を抽象的に捉えていて新鮮である。画面はカラーフィールドのような藍色で画面が覆われているが、微妙なグラデーションで色分けされている。白い反射も描かれているので、水面であると理解できる。このモチーフも特別なものではないが、深さや天候で色合いが違う川面の機微が伝わってくるようである。冒頭で記した藤原家隆の和歌のような世界の表象のようにも感じられる。


(中略)


注1.才門俊文「侘びの茶室」『紫明』第38号、pp.18-19、紫明の会、2016年3月25日




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