橋本トモコ

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油絵具の可能性
 

 「描かれた作品から、芸術的な香りや感覚的な表情でその人の直観力と人間性によって獲得したイメージを単的に第三者に訴えることは、画家という専門家でなくても伝えうるものである。例えば日曜画家でも立派な芸術性を示し得るし、また幼年期の作品からも、あるいは原始民族の遺品からでも、その直観力の素晴らしさや単純素直な表現力に目をみはらされることはしばしばある。人みな各々に天与の資質を持つとすれば、ことさら作家と何の区別もないわけである。あえて作家といい画家ととなえるのは、それなりに、その仕事に専門的な技術と作品に持続性を示す能力のあることであって、しかもその内に秘められた技術的責任を担う実際があるからである。」(寺田春弌『油彩画の科学』より)

 高校の部活で初めて油絵具を使ってから、美大予備校2年間、大学4年間、大学院2年間と油彩画の専門的な教育の場に長く在籍しながら、今思い返すと油絵具についての正しい知識を一から教わったことはない。高校の部活で油絵具のセットを購入し、既製のキャンバスに下描きをしたあと、茶系の絵具で下色を塗ってから描き始めるという、いま思えばベーシックなやり方を学んだものの、画用液についての知識さえ身につけぬまま、美大予備校で受験用という極めて特異な油彩画に染まってしまった。これは私だけではなく、私の年代の多くがたどっているコースであると思う。
 大学の3年になって、課題ではない自分の作品を造るにあたり、最初にしたことは油絵具から離れることだった。油絵具のごてごてとした物質感や照りが好きになれず、もっとマットで平面的な画面に憧れていた。これは、油絵具を誤解しているからだと今は解るが、当時の勉強不足な私の油彩画に対する知識はこの程度であった。

 当時私が誤解していたように、美大生の中でも油彩画のイメージというと厚塗りを思い描く人が大多数かもしれない。日本では、洋画というと印象派以降の近代絵画を紹介されることが圧倒的に多い。それらが本当に厚塗りであるかは別にしても、その油絵的厚塗りのイメージを持ったまま、美大受験のための短時間での油彩画制作に入る。厚塗りで尚且つ短時間で描くという矛盾を解消するために、油彩画の正しい知識を得ないまま、乾燥を速めるだけのために、油絵具に炭酸カルシウム等の粉類や速乾メディウムを混ぜたり、媒剤に乾燥剤を多用したりする。これでは、耐久性がないのは勿論のこと、油絵具の本来の美しさを知ることは出来ないだろう。「油絵具は薄塗り用に開発されたものである」というのは、ある絵具メーカーの技術者の言葉である。油絵具の本質は、薄塗りによるその透明性、艶、堅牢性にある。

 さて、私が大学3年になって選んだ技法は、テンペラだった。艶の無いフラットな画面が自分にとっては新鮮だった。それから10年間、テンペラ絵具での制作を続けた。木製パネルに膠で綿布を張り、その上に白亜地を塗り重ねて研磨する。その後、卵テンペラ絵具を塗り重ねていくわけだが、テンペラ絵具は隠ぺい力が大きいという特徴があるため、下層の絵具を感じさせるために研磨をしながらの制作となった。
 10年間テンペラ絵具を使って、その発色の良さに心を奪われながらも、透明色が使えない、絵具の色数が少ないなどという問題は常にあった。特にピンク色の絵具が粉の顔料には無く(無いという表現は正確ではない。実際はレーキ類のものがあるが、非常に使いづらい)、カドミウムレッドとチタニウムホワイトで作るピンク色は、サーモンピンクだった。そして、油絵具の色数の多さ、扱いやすさを思い、油絵具が体質にあえばどんなに良いだろうと思うこともしばしばあった。
 そのような思いがあったときに、油絵具とテンペラ絵具による混合技法を教わる機会に恵まれた。その時、見本として見せて頂いた作品に赤い色面があったのだが、その堅牢性、色の深さに目を奪われた。混合技法による構造は次の通りである。

1.支持体(木板等)
2.膠引き
3.布貼り
4.白亜地の地塗り
5.ダンマル樹脂溶液、油絵具による地透層
6.卵テンペラ白、混合白による明部浮出(描写)
7.油絵具による彩色※
8.6.7.の繰り返しによる描画
※油絵具媒剤の割合  ダンマル樹脂溶液9、テレビン油9、スタンドオイル4、ベネチアテレビン2

 「混合技法」とは、15世紀フランドルの画家で油絵具の発明者(完成者)とされているヤン・ファン・アイクの技法を後にドイツのマックス・デルナーが名付けたものだが、この混合技法を教わったことによって長年の油絵具に対する間違ったイメージは去った。私の新しい目を開いてくれたものは、予想外に古典の技法だった。それは、ゴテゴテと重そうな絵肌でもなく、嫌な照りも無かった。あるのは、フラットで堅牢な絵肌と深みのある艶だった。美術館で何度かは目にしたであろうその絵肌を今まで実感できずにいたのだ。

 その後、いわゆる描写のない画面である私の絵画は、油絵具とテンペラ絵具を併用する制作を経た現在、上記6のテンペラ白による描写を抜いた以下のような構造になった。

1.支持体(木製パネル)
2.膠引き
3.布貼り
4.白亜地の地塗り
5.樹脂溶液、乾性油による絶縁層
6.油絵具による彩色

 6の油絵具による彩色は、輪郭線にこだわり、グレーズを重ねていく。グレーズといってもいわゆるおつゆ描きではなく、油絵具を媒剤でマヨネーズぐらいの硬さに練り、それを筆で薄く伸していく。その際、叩き筆で筆跡を消していく。絵具は、最下層にバーントシェンナを塗ったあとに補色等を経て、固有色を不透明性の高い色から透明性の高い色へと重ねていく。部分によっては、最上層に不透明性の高い色を重ねることもあるが、油絵具のため幾らか透明性を有し、下層の絵具を感じることができる。

 マットな画面に憧れてテンペラを始めたものの、深みのある艶、堅牢性に惹かれていき、油絵具に移行していくという、古典の技法史を自ら体験することになったことを不思議に思う。知っていることと理解していることは違う。油絵具を知ってはいたものの理解はしていなかったということをやっと知ることができた。ある技法、材料を理解しようとしたことで、私は私の新しい絵画を発見しつつある。油絵具は本当に美しい、そう思いながら日々制作している。今、一つ一つ油彩画について勉強し、理解することが本当に楽しい。
 絵を描いてきた先人がいるからこそ、今の自分が絵を描けるのだということ、先人に敬意を払い、教わり、習うということをもう一度考える必要があるかもしれない。自身が良ければ何を使っても構わないという人が時々いるが、無知の上のそれは間違っている。技術を習得し、秩序だって材料を使えるということが作家に求められている。様々な技法があふれる中、本当に理解できることはほんの一部かも知れない。しかし、過去を理解することで、そこにはまだ、新しい可能性が見つけられる気がしている。

参考文献:寺田春弌『油彩画の科学』三彩社 1969年

 
2005年 多摩美術大学研究紀要第19号
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