橋本トモコ

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無意識という意識
 

無意識を造るという事。

例えば、背景としての和音。周期的な繰り返しによって表される秩序。
圧倒的な心地良さで、和音は鳴り続ける。
けれど、誰も気がつかない。なぜなら和音が鳴り続けるということは、意識をされるきっかけが無い―つまり音が無いという事と一緒なのだ。
和音は変わる。誰も気づくこと無く。けれど、心地良さは感じられる。

例えば、四角い画面。
私が影も形も無かった遥か昔から四角い画面に絵は描かれてきた。そのお陰で最も意識されることの無い形として、中の空間は最大限解き放たれている。
その無意識の空間が最も心地良くあるために、どう描くべきか私は常に心を砕いてきた。下地をつくり、絵具を重ね、最も美しい無意識な空間をつくる為に膨大な時間をかける。
美という無意識の心地良い空間。無意識の準備は万端だ。

そして、旋律。 無意識の和音に一音が入れられたことで、その心地良さに気づくだろう。
旋律は和音を感じる為の手段であり、また、和音はやはり旋律を引き立てる為の手段なのだ。そして旋律は、突飛なものであってはならないとも思う。突飛なものでその心地良さを崩すべきではないだろう。けれど、弱くあってはならない。強くあればあるほど、その無意識の心地良さは強く意識されるのだ。

そしてまた、形も旋律と同じ役割を果たす筈だ。空間に強くて凡庸な形を投げ入れることで、美しい空間は引き出されるだろう。無意識の四角い空間に無限の広がりが出るだろう。
無意識の意識がつくられるのだ。
そして形も空間に引き立てられる。形を植物に求めるのも強さと凡庸さを求めているからに他ならない。誰も変えることのできない見慣れた形。その形を借りて、強く心地良い画面を造りたい。

それでは、無意識の空間さえも無くなったらどうだろうか。そう思い、形を切り取る事を始めている。無意識の空間があるものと、形を切り取った無意識の空間さえ無いものといった空間の対比を造ってみる。
ふたつの二次元の空間が、現実的な三次元の空間に組み込まれることによって空間の重なりが出せれば良いと思っている。

 
2004年 アクリラート別冊2004
第17回ホルベイン・スカラシップ奨学生
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